こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。
それでは、大学を卒業するときの私に戻るよ。
大学ではマルクス主義研究会に入っていてね…
その頃は全共闘運動が盛んで、
私も新左翼の端くれだったんだ。
大学4年の10月21日、国際反戦デイ、
あの日は忘れられないね。
日本で初めて、ウーマンリブ運動が日比谷でデビューしたんだ。
私も「戦う女同盟」と書かれたピンクのヘルメットをかぶって、
スクラム組んでデモ行進。
「女解放!」、「闘争勝利!」、「家族制度を解体するぞ~」
…今考えると笑っちゃうけど、
そのときは深刻真剣、これしかないと思ってた。
外側はウーマンリブの活動家、
だけど、心の内側は…恥ずかしながら、今日はそれを話すね。
その頃の私の本心は…カレと恋愛下降線ぎみ…
うまくいかないんだよね。
なんとなく、自分は恋をしているのに、
彼とのコミュニケーションがずれてさ、
それだし、もっとひどいことに、
自分に正直になれなかったのさ。
ホントはホントはね、結婚しようって言えなかったんだ。
弱くてさ(ウフ)
心の中は、もじもじざわざわぐちゃぐちゃへなへな、
で、カレに伝えたことは…
「両親がお見合いの話を持ってきているけど、あなたどうする?
私、決めなきゃならないわ」。
そんないやらしい会話だったのよ。それが精いっぱい。
もちろん、カレは「No」。
だけど、私の気持ちは収まらない。
カレのことで頭がいっぱいで煮詰まってて…
恋のどうにもならない気持ちが不自由で…
正直に言えなかった自分にもイライラ…
それに、カレを思い通りにできない不自由さも…
結局、心の中の全部のフラストレーションを
ウーマンリブの運動に完全転嫁しちゃったのね(笑)
いてもたってもいられない恋の不自由さが、
女であることの不自由さになり、
大上段に、女の自由と解放に向けての戦いになったというわけ(笑)
みんなも、こんなふうに自分の本心に直面しないで、
カレと別れたり、仕事に逃げたり、スピリチュアルに没頭したり、転職・離婚をしたり…etc
すりかえをしてしまうことはない?
私の場合は、自分の言えなかった弱さを知的に合理化してしまったのね。
でも、当時はそのことにすら気がつかなかった。
自分が本当は何を感じているか、何を求めているか理解するって、
本当にむずかしいね。
そしてね、もっと言うとね…女性解放運動は、
外側の環境や差別をなくすための活動だったけど、私の根っこには、
「何かを変えたい、何かから解放されたい、人としての真のあり方を探りたい…」etc心理的な理由も越えて、魂や霊的な視点も含めた心の解放、真実の生き方を追求したいって願いがあったのだって思う…。
少なくとも、私自身の中には、この切望が心の奥底にあるのが見えるな。
では、この頃の頭でっかちで神経質な自画像を見せるね。
思いつめて固い表情をしているね。
この絵を見ると、まるごとあの頃の自分を抱きしめたくなる。
そして、言ってあげるんだ。
「よくやったね。あなたはかわいいね…そして、それしかできなかったんだよね。その行動もあなたにとって取る必要があったんだよね」って…
…今はかわいいわが子を抱くように眺めていられるよ。
*「自分は誰か?」を模索している時期には、このような自画像が何枚も何枚も描かれることが多いね。芸術家や画家に自画像シリーズが多いのもそうだし、近いところでは忌野清史郎も思春期からたくさん自画像を描いていたって新聞に紹介されていたね。
じゃ、またね!
愛を込めて
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