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オーロラ・シャクティ

Author:オーロラ・シャクティ
オーロラ・エナジー日記にようこそ!
瞑想と家族を愛し、セラピストとして豊かな経験を持つBodhini(ボディーニ)と、その仲間 Jnana(ニャーナ)の日々の出来事です。


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こんにちは。加藤るり子です。今日もお邪魔しますね。
前回、中間世の夢をシェアしたけど、
個人的には、カルマがおもちゃ、ってとこが気に入っているんだ。
だってね、みんなはカルマって聞くと、乗り越えなければならない課題、
通らなければならない何か、って深刻真剣になってしまうでしょ?

でもさ、中間世では、それはお・も・ちゃ!
遊ぶ道具なんだよね。
もし、私たちが、子どもがおもちゃで遊ぶのと同じように、
軽い気持ちで、カルマと距離を取って
戯れることができたら、もっと楽かもね!

そしてね、それに引き続き、先日も夢を見たよ。
この夢もおもしろいよ!

私は結婚式場にいる。
そこにはたくさんの花嫁さんがいる。
私は、花嫁さんに新たな名前をあげているの。
その名前は…
「うつし」
(鏡に「映す」、または、英語の「project」、投影するという意味なの)

大いなる自己(セルフ)の光を映す鏡…光だ…
それは、いい名前だなと思っている。

そして、この夢のおもしろさは、花婿さんの姿が見えないこと。
結婚するのは、他人ではないみたい。

もし、その人が自分の大いなる自己(セルフ)とちぎり、結ばれるなら、
鏡となって、自由、静けさ、情熱、英知など素晴らしいものを映し、
この世もそのように見るということ。

しかし、自分が低いレベルで、それを鏡として投影してしまうなら、
不安や不信感、不満足といったものを映し、
この世もそのように見るということ。

つまり、この結婚は、花嫁さんが考えている通りのものになる、ということ。
この世に見るものは、自分の内的境地の反映ということだね。

これが、夢の絵。

結婚式
(絵:小林直子)

この夢は、みんなへのプレゼントね。
さあ、あなたは、どんなものを「うつしたい」と思うかな?
そして、この世をどう見たいと思っているかな?

それでは、またね!
愛を込めて

こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

最近、『自分をえらんで生まれてきたよ』という本が話題になっているね。
赤ちゃんが親を選んで生まれてくるというテーマは
古くからたくさんあるけど、3才までは
生まれる前の記憶を覚えている子どもが多くいるよ。

私もね、お孫ちゃんに聞いてみたよ。
「なぜ、ママのところに生まれてきたの?」って。
そしたらね、
「空からママのこと見ていたら、ママがさみしそうだったんだ。
だから来たんだよ。
そしてね、生まれるとき、目の前に2つのボタンがあったんだ。
ママのボタンとおばあちゃんのボタン。
そのボタンをね、2つ一緒に押したら、ママのお腹の中に入ったんだ」てね…
おもしろいね!

実は、私も5,6年ほど前、中間世の夢を見たことがあるんだ。
中間世とは、魂のいる場所のことだよ。
夢の中の中間世は、御殿のような大きなお家でね。
その中に3つに仕切られた部屋があったんだ。
長い廊下が3つの部屋をつないでいるんだけど、
第1の部屋は、ビーカーやメスシリンダーといった実験道具や、
ありとあらゆるおもちゃがあるお部屋。
おもちゃで一番目を引いたのは観覧車。
ぐるぐる回る観覧車だよ。
観覧車はカルマ(原因と結果の法則、行為のこと)の象徴で、
おもちゃは、次の生でクリアにすべきカルマや課題のよう。
子どもたちはここで、次の転生でどのようなカルマを解消するか、
そして、どの程度解消するか(メスシリンダー)をしっかり決めて、
そのおもちゃを持って次の部屋に行く。

そして、次の部屋は待機場所なの。
次に生まれる自分の課題やカルマに合わせ、
それにふさわしいお父さんとお母さんを選んでいるの。
そして、課題であるおもちゃをしっかり持って待機しているところ。
幼稚園のような感じだったよ。
ちっちゃい赤ちゃんたちがたくさんいて遊んでいるの。

そして、最後のスペースでは…
お母さんが決まり、
体をもつ覚悟が決まると
長い廊下を通って、いよいよ飛行場へ!
いざ、お腹に入るために飛び立つ。
まっ黄色のヘリポートのような場所に立つと、
背中の羽をはばたかせ上空へ!
一人また一人と、天使のように自由に飛び立っていく。
たくさんの祝福と光に包まれて出発するんだよ。

子どもたちはみんな無垢でね、
本当に自由さと喜びと純真さに輝いていたよ。
これが、そのときの絵ね。

中間世
(絵:小林直子)

この夢の感じから現象界・人間界を眺めてみると、
人間界ではいろんなことが起こるけど、
深く深くとらえると、そこには中間世と同じような喜び、自由さ、
飛ぶような楽しさ、軽さにあふれているんだな、って今は思えるよ。
そして、自分でこの人生を選んだ責任もね!

今日は、これくらいにしておくね。
それでは、またね。

愛を込めて
こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

母、庄田てつ子さんが亡くなって3週間。
心の中には不全感がのこっていた。
それが何なのかわからず、もやもや…

クリアにならなかったことは二つ。
一つは、生前、母が死に際して
どんな気持ちを抱いていたかわからなかったこと。
父は死に際して、渾身の力を込めて私の手を強く握ってくれた。
その手には、「ありがとう」、「ガンバレ」、
「これから、しっかりやるんだぞ」など、
言葉にならない声がこめられていた。
それが、父の最期。

しかし、母は何のメッセージもなく……

もう一つは、私は母に対してよかれと思って
心の精いっぱいを込めて介護や看護をしたけれど、
母はどう感じていたのだろうか? 
もしかしたら、おしつけや私の独りよがりではなかっただろうか?
疑問も感じていた。

私には、幼少期から、
母に心から受け入れられたという体験がほとんどない。
だから、最期くらいは…と期待したのかもしれない…

今でも思い出す。
甘えたくて、受け止めてもらいたくて、母のそばに行くのに、
母から返ってくるのは、たもとを振り払う風の音だけ…
母としての義務と役割は果たしてくれるけど、
話を聞いてくれたこともなかった…

オーロラが軌道に乗り始めたときも、
本当は一緒に喜んでもらいたかったのに、
母から出てきた言葉は、
「一体おまえは誰に似たんだい? 私かい? それともお父さんかい? 
いや、きっと私だね」。
自分が父よりも有能力者だといわんばかりの答え。

いつの間にか期待もしなくなっていた・・・
それでも、母を必要とするときは、母の好きな占いにかこつけて、
「ねえ、アドバイスちょうだい」とすり寄っていった。
占いをしてくれるときだけ、母は真剣に私の話を聞いてくれたからだ…

最期の最後、母は私の叫びに応えて、大きく一つ呼吸を返してくれたけど、
そのとき、母の中に私はいたのかしら?
母は、私を愛してくれていたのかしら?
母を失い、それと共に疑念も大きくなっていった…

そして、8月15日。
深い瞑想に入ったとき、突如、それは起こった!
瞑想の中に、母がビジョンとして現れたのだ。
母は、とても静かで神々しく、柔らかな光に包まれていた。
そして、私に一言、「ありがとう」と言って頭を下げた。

母の写真

少し太めで、はっきりした声だった。
その声の響きから、
その言葉は母が私に心から伝えたいものだとわかった。
それを聞いた途端、両眼から涙があふれでた。
次から次から、滝のように私の頬をつたわっていく…
途切れることのない熱い涙。

うれしかった。

母が体を脱いで、魂になり、やっと言ってくれた本心。
この言葉をどれほど、私は待っていたことだろう。

ああ、これでよかったんだ!
私が母に対してやってきたことすべて…死ぬ間際の介護だけじゃなく、
これまでの私と母との関わりすべてにそう言ってくれたんだ。

やっと母に受け入れられた!

瞑想が終わって、目を開けたとき、
私の中にあった不全感はきれいになくなっていた。
そして、母の人生をまるごと完全なものとして受け止めることができた。
もっとこうしてくれたら、もっとこうだったらetc…
母に対して持っていた満たされない思いや期待感も消え去り、
私もまた母を受け入れることができた。

おかあさん、お疲れさま。まるごと抱きしめているよ。
私の不全感、私のこだわり、私の複雑に入り組んだ思い…
母の死を通して、私の中に根強くあった
甘い母子幻想は根こそぎなくなった。
そして、母を通して、
すべての人をまるごと完全に受け入れることができると思った。
これが、母が私に置いて行ってくれたもの。
大きな、大きな愛を母は最後に残してくれた。

母と自分自身と、
自分自身の内なる大いなる自己(セルフ)に感謝。

愛を込めて
こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

怒りって、みんなはどんな体験ある?
こういう仕事をしていると感情って大切と思うことが多いけど、
特に、怒りは大変だよね。

私も、あまり怒りは感じないし、出さない方だと自分では思っているけど…。
今日は、怒りの体験をお話するね。

あるとき、ボランティアでお皿洗いをしていたのね。
頑張り屋の私は、腕まくりして、ビニール手袋持参で洗いまくったよ。
実際、汚いお皿の山、
早く片づけなきゃ。
そこに、スウェーデン人の女性がやってきた。

助かった…と思いきや、その人の身なりったら…
ふわふわのドレス、指にはすべて指輪がはまってキラキラ。
え、本当にお皿洗いに来たの?
洗い方も、お皿を指でつまんで、水にちょこちょこつけるだけ。

しかも、その女性が言うんだ。
「そのお皿、このコーナーに置いて」
小さなスペースを指差しながら、私に命令!
なんなのよぉ。とうとうドッカーン。
怒り爆発。怒りの炎に火がついた。

なんで、あなたの命令をきかなきゃいけないの。
たまったものではないわ。
何よ、その女王様のような態度は…
プンプン、プンプン…。
イヤなどす黒い怒りのうず。
赤い炎がメラメラ、メラメラ…。

でもでもでも、待てよ。
まずは、自分の気持ちをなんとかしなくちゃ。
深呼吸、深呼吸、深呼吸…。

でも、怒りは収まらない…。
呼吸、怒り、呼吸、「ちくしょう!」、呼吸、イライラ…。
気持ちは収まらない…。
意識して、自分の呼吸に焦点を合わせ…。
でも、怒りは持ちつつ…。

しばらくすると、落ち着いてくる。
落ち着いた分だけ、怒りも消えてくる。
呼吸、呼吸、呼吸…

少しして、自分の呼吸が楽だと感じられるようになると、
気持ちも穏やかに。

ふと、「このスウェーデン人のやりやすいようにお皿を置いてあげよう」という言葉が心の底から湧いてくる。
スウェーデン人が指定した場所にお皿を置いてみる。
うん、楽しい!!
まるで、恋人に花を贈るかのよう!!
とてもスイートな動作。
完全に無になってお皿を洗っている私。

そしたら、私の真後ろに、瞑想の先生が現れた。
いつもだったら、すぐ「きぁーきゅー」って瞑想の先生に飛びつくのに、
そのときは、お皿洗いに集中していて、心は完全に静か。
先生の顔を見て、すぐにまた、お皿洗いに戻る私。

怒りはね、時として正当な理由を伴って表れる。
でもね、それを主張したところで、怒りの連鎖になるだけなんだね。
「私のやり方」、「これが正しい」、「これが違っている」…永遠に続くんだ。
相手も何らかの正当な理由があって、それをしている。
この理解が大切だね。

そして、怒りは他人や環境とは関係なく、自分の中にあるんだよ。
何らかの出来事で触発されて出てくるもの。
癒されるために自らの中の怒りが出てくる。

もちろん、怒りを抑圧しなさい、と言っているんじゃないよ。
むしろ、怒りはエネルギーだからね、そのエネルギーが自分の中にとらえられるのはいいことだよ。肝心なのは、怒りを相手や誰か、または自分にぶつけるのではなく、もっと高いエネルギーを選ぶこと。
ここでは呼吸だったね。
そして、怒りは消えていく…。

私の体験も、呼吸の中に怒りを溶かすことで自分の状態を高め、対立でも議論でもない、スムースにお皿洗いができる環境へと変化していったんだよ。怒りのエネルギーは、それを認め、それに有を与えながら消し去ることができるんだよ。後に残ったものは、きれいになった私の大いなる自己(セルフ)だものね。

ちなみにね、お皿洗いが終わった後、
私、瞑想の先生に会ったときどんな顔していたんだろう、と思って、洗面台の鏡に自分の顔を映してみた。
そしたら、こんな笑顔見たことないと思うほど、
純粋で輝いていて、きれいだった。
次の絵は、その時の絵だよ。

Epson_0262_1_convert_20120809181548.jpg
(絵:秋谷真由美)

それ以来、私は自分の笑う顔に自信が持てるようになった。
自分の内なる大いなる自己の輝きに自信が持てるようになったよ。
そしてね、落ち込んでいるときも、鏡に自分の顔を映すと、必ず、目の奥に大いなる自己の輝きがあることを発見。消えることのない輝きをもらった体験でもあるんだよ。

みんなはこのブログを読んで、
怒りからの脱出方法をレポートに書いて提出ね(笑)
そして、実践するんだよ。

今日はここまでね。
それでは、また!
愛を込めて

こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

今日は、7月20日のブログの続きね。
瞑想の先生に、「careful family」って言われて、
正直な気持ち、ピンと来ていなかった。

妻として、嫁として、やることはやっているという自負はあったからね。
それに、とりたてて問題あるわけでもない。
確かに、主人に受け止めてもらえないさみしさはある…
だけど、それは当たり前のこと。
彼に言ったところでどうなるものでもなし、
仕事や忙しさで紛らわしていた。
夫婦ってこんなものよ…そんなあきらめがあった。

でも、先生に言われたからにはやらないと!
千手観音のようにたくさんの手で、家事をこなし、仕事をこなし、
瞑想のボランティアをこなし、フル稼働。
そして、結果、急性肝炎。
「あれもこれも」、「やることをやる」という発想が、
いかにも私らしいね(笑)

そして、瞑想の先生との再会。
「今、ここで、この瞬間できることは一つ」というメッセージは、
この「あれも、これもやらなくちゃ」という私の重荷を下ろしてくれた。
そして、全身から力が抜け、楽になった。
ああ、しゃかりきにならなくていいんだ~

もし、この瞬間一つのことをすればいいとしたら、
私は、何を優先するだろう?
しばらくして、この言葉が飛び出してきた。
「愛」
「そうだ、心を込めてやろう! 愛を込めてやろう!」
「一つ一つのことを」

そう思った途端、自分の気持ちが見えてきた。
私、本当は主人が大事で、愛している…。
長年の夫婦生活で色あせたと思っていたけど、
その気持ちは、今も生き生きと自分の中にある。
ああ、この気持ちに戻ればいいんだ!

そしたら、不思議だね。
新婚当初のように、夫婦関係がわくわくドキドキしてきた。
そしてね、
すっかりあきらめていたと思っていた言葉が出てくるようになった。

それはね、
「助けて」という言葉。
疲れているとき、元気がないとき、心細いとき言ってみる。
手を差し出して、
「パワーちょうだい」って言うこともある。
主人も快く応えてくれる。
義務と役割で妻業、母業をしているより、
こうして弱音を吐ける妻の方が男の人にはかわいいみたい。
主人は、それ以来男らしくなった。

あるときね、こんなことがあったよ。
オーロラの仕事ですごく疲れていて、「今夜のセッションはできない」ってグチをこぼしたら、「お前の瞑想の先生は、富士山に登った後、いくら疲れていてもおまえのところに来てくれたんだぞ。
オーロラにたくさんの人が来てくれているんだったら、喜んで仕事をするんだぞ」って。
この言葉を聞いて、涙が出た。
私のことも、瞑想の先生のことも、受け入れてくれている。
じんわりと、心が暖かくなった。

教育分析プログラムⅡ(ロータスプログラム)で、サイレンス(沈黙)というエクササイズがあり、そのとき、「自分の一番ほしいものは何か」と頭の片隅に置きながら自分の行動を見ていくんだけど、なぜか、毎回毎回、このエクササイズの最中に必ず主人と出会う。
公園の入り口だったり、お店の前だったり、駅前だったり…。
まるで、「主人は大切な人」と、宇宙が毎回教えてくれているようだよ。

次の絵はサイレンスのときの絵だよ。騒がしい街中だけど、私は静かになって、透明人間のようになるんだ。

Epson_0260_1_convert_20120807191050.jpg
(絵:秋谷真由美)

最後に、本当に、家族っていいね。
本当に、結婚っていいね、て思う。
今日はここまでね。
愛を込めて

こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

先日の母のブログに、
多くの方たちから励ましの言葉をいただきました。
本当にありがとう!
みなさんの暖かい気持ちに感謝します。

そして、その母、てつ子さんは、
7月26日、午後3時29分、病院で息を引き取りました。
95才でした。

その日は、危篤状態とはいえ、
とても静かな呼吸をしていたのですが、
急に容体が変化。
「お母さん、もう1回呼吸するんだよ」
という私の叫びに応えるように、
大きく息をひとつ…それが、最期でした。

うす化粧をほどこされた母は、とてもきれいで、
まるで、笑っているかのよう…
とても、幸せな顔をしていました。

「ごくろうさん、お母さん!!」

あつい涙が、次から、次から……
まるで、心に涙袋があるかのように、
……とまりませんでした。


母が亡くなるちょうど2週間前、てつ子さんの夢を見ました。
てつ子さんは、いつもと同じように、人の相談にのっています。
しかし、てつ子さんの前にいるのは、
もうすでに亡くなっている方ばかり。
そして、てつ子さんの部屋の中には、
たくさんの先祖の仏壇が…

家の外には、海が見え、
崖にはたくさんのこいのぼりがたなびいています。
お祝いでもあるのでしょうか。まるで、大漁旗のよう!
そして、しばらくすると、
岸から、母と子たちの乗った大きな船が出ていきました。

これが、その夢の絵。

母の死、夢
(絵:秋谷真由美)

船出…象徴的な夢だね。
たくさんのこいのぼりに見守られながら、
てつ子さんはあの世に旅立ったのでしょう。
こいのぼりは男の子のお祝い…
てつ子さんには、こいのぼりがよく似合う。
強くて、統率力があって、みんなから頼りにされて…
やっぱり、てつ子さんは男だったかな(笑)

95才の天寿をまっとうしたてつ子さんに合掌。

今日はここまでね。

愛を込めて

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