こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。
怒りって、みんなはどんな体験ある?
こういう仕事をしていると感情って大切と思うことが多いけど、
特に、怒りは大変だよね。
私も、あまり怒りは感じないし、出さない方だと自分では思っているけど…。
今日は、怒りの体験をお話するね。
あるとき、ボランティアでお皿洗いをしていたのね。
頑張り屋の私は、腕まくりして、ビニール手袋持参で洗いまくったよ。
実際、汚いお皿の山、
早く片づけなきゃ。
そこに、スウェーデン人の女性がやってきた。
助かった…と思いきや、その人の身なりったら…
ふわふわのドレス、指にはすべて指輪がはまってキラキラ。
え、本当にお皿洗いに来たの?
洗い方も、お皿を指でつまんで、水にちょこちょこつけるだけ。
しかも、その女性が言うんだ。
「そのお皿、このコーナーに置いて」
小さなスペースを指差しながら、私に命令!
なんなのよぉ。とうとうドッカーン。
怒り爆発。怒りの炎に火がついた。
なんで、あなたの命令をきかなきゃいけないの。
たまったものではないわ。
何よ、その女王様のような態度は…
プンプン、プンプン…。
イヤなどす黒い怒りのうず。
赤い炎がメラメラ、メラメラ…。
でもでもでも、待てよ。
まずは、自分の気持ちをなんとかしなくちゃ。
深呼吸、深呼吸、深呼吸…。
でも、怒りは収まらない…。
呼吸、怒り、呼吸、「ちくしょう!」、呼吸、イライラ…。
気持ちは収まらない…。
意識して、自分の呼吸に焦点を合わせ…。
でも、怒りは持ちつつ…。
しばらくすると、落ち着いてくる。
落ち着いた分だけ、怒りも消えてくる。
呼吸、呼吸、呼吸…
少しして、自分の呼吸が楽だと感じられるようになると、
気持ちも穏やかに。
ふと、「このスウェーデン人のやりやすいようにお皿を置いてあげよう」という言葉が心の底から湧いてくる。
スウェーデン人が指定した場所にお皿を置いてみる。
うん、楽しい!!
まるで、恋人に花を贈るかのよう!!
とてもスイートな動作。
完全に無になってお皿を洗っている私。
そしたら、私の真後ろに、瞑想の先生が現れた。
いつもだったら、すぐ「きぁーきゅー」って瞑想の先生に飛びつくのに、
そのときは、お皿洗いに集中していて、心は完全に静か。
先生の顔を見て、すぐにまた、お皿洗いに戻る私。
怒りはね、時として正当な理由を伴って表れる。
でもね、それを主張したところで、怒りの連鎖になるだけなんだね。
「私のやり方」、「これが正しい」、「これが違っている」…永遠に続くんだ。
相手も何らかの正当な理由があって、それをしている。
この理解が大切だね。
そして、怒りは他人や環境とは関係なく、自分の中にあるんだよ。
何らかの出来事で触発されて出てくるもの。
癒されるために自らの中の怒りが出てくる。
もちろん、怒りを抑圧しなさい、と言っているんじゃないよ。
むしろ、怒りはエネルギーだからね、そのエネルギーが自分の中にとらえられるのはいいことだよ。肝心なのは、怒りを相手や誰か、または自分にぶつけるのではなく、もっと高いエネルギーを選ぶこと。
ここでは呼吸だったね。
そして、怒りは消えていく…。
私の体験も、呼吸の中に怒りを溶かすことで自分の状態を高め、対立でも議論でもない、スムースにお皿洗いができる環境へと変化していったんだよ。怒りのエネルギーは、それを認め、それに有を与えながら消し去ることができるんだよ。後に残ったものは、きれいになった私の大いなる自己(セルフ)だものね。
ちなみにね、お皿洗いが終わった後、
私、瞑想の先生に会ったときどんな顔していたんだろう、と思って、洗面台の鏡に自分の顔を映してみた。
そしたら、こんな笑顔見たことないと思うほど、
純粋で輝いていて、きれいだった。
次の絵は、その時の絵だよ。
(絵:秋谷真由美)それ以来、私は自分の笑う顔に自信が持てるようになった。
自分の内なる大いなる自己の輝きに自信が持てるようになったよ。
そしてね、落ち込んでいるときも、鏡に自分の顔を映すと、必ず、目の奥に大いなる自己の輝きがあることを発見。消えることのない輝きをもらった体験でもあるんだよ。
みんなはこのブログを読んで、
怒りからの脱出方法をレポートに書いて提出ね(笑)
そして、実践するんだよ。
今日はここまでね。
それでは、また!
愛を込めて