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オーロラ・シャクティ

Author:オーロラ・シャクティ
オーロラ・エナジー日記にようこそ!
瞑想と家族を愛し、セラピストとして豊かな経験を持つBodhini(ボディーニ)と、その仲間 Jnana(ニャーナ)の日々の出来事です。


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こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

さてさて、職場の同僚から切られた私は、一気にうつ状態に……
人が人として感じられない…
私の周りにだけ透明な厚い壁があって、
外の世界や音は聞こえても、
完全にひ・と・り…
ポツンと別の世界に取り残されている…

生活していても…
お茶碗にもられたご飯が山に見える…食欲がない。
一粒ひと粒が重い…
…味がない…でも、食べなきゃ…
砂みたい……箸を置く…
夜も寝れない…
ありとあらゆる考えが渦巻く…
ああ、私、この世の中から脱落しちゃった
病気になっちゃった…心の病

ある日、職場の同僚が心配して、寄席に連れていってくれた。
気分転換させよう、楽しませようとの配慮だったけれど、
…笑えない…何がおもしろいのか?
周りは笑っているのに、私だけち・が・う…
一人ぽつねんとしている私。
落語がこんなに苦痛だとはしらなかった。

そんな私が心を許せたのは、さみしげな白と黒の
スヌーピーのぬいぐるみ…
抱いてると安心できた。
哀れな自分をかわいがっているようで、自然と涙がこぼれる。

ある日、太陽と出会った。
吸い寄せらせるようにどんどん魅せられていく。
あったかい…
無条件にあったかい…
唯一信頼できるものに思えた。
沈みゆく夕陽は、明るく暖かいものが奪い去られるようで、
涙がでた。
行かないで、行かないで…

そして、自然と絵筆を握り、太陽の絵を描いていた。
太陽の絵を描くことは私の癒しになった。
涙を流しながら、たくさんの太陽描画が表れた。

次の4枚は、その頃描いた太陽の絵。
みんなはどう感じるかな?

太陽1
1枚目は、下に黒い海が見えるでしょ? 
夕陽が黒い海に沈んでいくところ。鉛筆で、ぎざぎざの激しいタッチで、短いストロークを最後に描いているね。
うつの鬱積した気持ちが自分を罰するように表れている。

太陽2
2枚目の作品は、沈みゆく太陽だよ。太陽が消え入るまで寸暇を惜しんで眺めている様子がわかるね。鳥がさみしいよね。
色はすべて平行線で、中心に紫を描くことで、不安が増大しているのがわかるね。

太陽3
3枚目は、山に映える夕陽。真っ赤だね。この赤は、沈みゆく太陽の最後の瞬間。陽光に対する愛着が表れているね。
しっかり山や雲の現実的な形がでてきたけど、固い枠取りはつらそうだね。

太陽4
4枚目は、丸ごと太陽。7色の雲の中にエネルギーの塊のような黄色い太陽が画面いっぱいに描かれている。太陽からエネルギーをたくさんもらったんだね。
マンダラ図形。自分の中に安心ややすらぎ、センタリングの状態が生まれてきたことがわかるね。何かが始まる時だね。この絵は、現実への転換点になったんだよ。

絵は私を救ってくれた。
「太陽描画」はね、抑うつ状態からの回復に有効なアートセラピーなんだ。

今回はここまでね。
ちょっとお涙ちょうだいになっちゃった。
みんなもたまには泣いて見る?
うぇ~ん。

では、また!
愛を込めて

こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

3月3日からブログを書いていて、ばっちり自分と直面しているよ。
前回書いた「あなたが選ぶ、天国と地獄の境地」、むずかしかった?
今日はね、私の地獄の話をしようかな・・・(じゃ~ん)。

私にもね、ぜんぜん選択肢が見えなかったときがあるんだよ。
それはね…

大学を卒業して、念願の精神医療の現場へ就職した頃…
失恋の痛手から立ち直れず…大好きな精神医療をやっているのに、
心はからっぽ・・・
やってもやっても、こぼれる砂みたいに落ちていく…
どこにも行けない…
むなしくて、さみしくて、誰もいない…

気がついたら、
一緒に入った同期の職員ともコミュニケーションが取れなくなっていた。

あるミーティングで、同僚からこんなこと言われた…
「あなた、何、言っているかわかんないよ」
「ついていけない」
「そんなこと言ってどうなるの・・・・・・理解できない、全然」
が~~~~ん

今思うとね、相手が言っていることの方が正論なんだ。
なぜかっていうとね、
私がしゃべったのは、
フロイトの精神分析のむずかしい~理論だったんだ。
現場での実務的な話し合いだったのに、大上段に正義・正論の論理(ユング心理学で言うところのアニムス・男性原理)をかまされたら、
たまったものじゃないよね。私はそれをやっちゃったんだ。

もちろん、当時の私は、自分が何をやっているか自覚なし…私が正しくて、みんなはわかっていないと思っていた。
…だけど、みんなからの異語同音の反論…
ショック。

私が本当に言いたかったことはね…
「もっとみんなと一緒に考えたいよ」
「もっとやさしくして…」
「一緒にいたいよ」
「受け入れてほしい」ってこと…

とてもシンプルなことなのに、それができなかった…

そして、同僚の言葉は、
「愛情を切られた」というトラウマまっしぐら。
母に愛を切られた体験が再燃。
孤立…
やっぱりダメ
………
地獄の門が開いちゃった…
…死のう…

今だとわかる。
いくら愛されなくても、自分の中には愛があるし…、
愛を切られたというトラウマの捉え方も、
ひとつのストーリーにしかすぎないって…

だけどね…ドツボにはまるとね…
地獄の扉しか見えなかった…

ではでは、その頃の私の自画像、見せちゃうね。

黄色い目の自画像、怒っているよね。そして怒りの矛先を自分に向けてる。自分を否定し、責めてる。本当に苦しそう。

自画像4

そして、もう1枚は、真黒な自画像。あきらめて、抑うつ状態。まるで、力なく死神に乗っ取られているようだね。

自画像5


今日は、すばらしいところで話はおしまい。少しはみんなもドキドキしたかな? 次は狂気だよ(どろどろどろ~ん)


【付録 すれ違ったときのコミュニケーション術】
1.すれ違いに気づく
2.コミュニケーションを通して、自分が成長すると決める
3.相手を責めない(自分も責めない)
4.正直に相手の気持ちを聞く
5.正直な自分の気持ちを言う
6.それぞれ違う捉え方をしていたことを理解する
*相手を尊重し、意見は違っても相手との関係は崩れないことを知る。
*このことを通して、より深く相手と自分との絆の深まりを確信する。
 そして、自分への信頼が深まる。

じゃ、またね!
愛をこめて

こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

私の部屋の隣は中庭になっていて、面白いことを発見したよ。
これから、3枚の写真をみんなに見せるね。
私の家の中庭の写真だよ。


光と影1



光と影3



光と影2

みんなはこの3枚の写真を見て、何を感じる…?

… 私はね、人の心の中のことや
自分の心の境地のことを考えちゃったよ。
1番目の写真は、私の部屋から青い空を望んでいる。
ああ、あの青い空のように自由になりたい、解放されたい、
飛び立ちたいな…
あこがれている境地だね。
みんなもよくここにいるでしょ?

そして、2枚目の写真、光が入ってきているけど、下の方は暗闇。
なんかね、この写真を見ていると、
「あなたは、どっちを選ぶの?」
って言われている気がする。
「光の世界を選ぶことも、闇の世界を選ぶことも
あなたの選択だよ」って。

でもね、落ち込みがひどくなると、
自分にそんな選択肢があることを忘れてしまう。
引き込まれるように、暗闇の方に向いてしまうんだよね。
もがけばもがくほど、どんどんどんどん闇の深みにはまってしまう。
行きつくところは狂気、
または、死への甘い誘惑…。

そして、3枚目の写真…
この光景を見るとね、いつも感動するんだ! 
奇跡だって!
だってね、この一筋の光だけが、
いつも必ず中庭のランの鉢植えにまで達するんだ。
暗闇の中に必ず差し込んでくる光…
光によって消えていく闇…
暗闇から光によってうかびあがる植物…

まるで、神様がいて、
「さあ、おまえにスポットライトをあてるよ」
と言っているかのよう…
「おまえがどんな状態でいても、
スポットライトのあたらないものはないんだよ」…。

もしかしたら…
私たちはいつもこうしてスポットライトをあてられているのかも…

でも、それに、気づかない…
どうしてなんだと思う?

もう一度最初の写真に戻るよ。
私ね、青い空の境地って、誰の中にもあるって思うんだ。

青い空の境地ってね
自由で
どこまでも広がっていて
解放感があって
ひたひたと心の底から喜びがわいてきたり、
とても、静かだったり、
エネルギーがあふれてきたり、
すべての人を信頼できたり、
し・あ・わ・せ、って感じられたり……。
そして、それが、自分の大いなる自己(セルフ)。
誰の中にもあるセルフだよ。

だけどね、多分、多くの人は、
スポットライトがあたるための条件を自分で作っている…
自分が成功したら、
愛されたら、
幸せになったら、
もっと自由になったら…
そうならないとスポットライトはあたらないって……。

少し哲学的になっちゃったけど、
中庭の光景を見ながら、そんなことをつらつら考えて
一人、にこにこしていたよ。

ちなみに、私の今日の喜び…
それはね、収穫したさやえんどうとスナップえんどうを、
ゴーヤチャンプルにまぜて食べたこと。
フレッシュで、とても甘かったよ。
ささやかだけど、とってもうれしかったよ!

ゴウヤチャンプル


愛を込めて

こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

前々回、「桜の花」の夢からインド人の瞑想の先生(悟りを開いた人)との出会いについて、話したでしょ。今回は、その瞑想の先生のプログラムを初めて受けたときの私の瞑想体験をシェアするね。

27年前、あの頃は精神科の仕事で朝から晩まで忙しく奔走していたよ。
瞑想のプログラムは2日間だったけど、初日は遅刻ぎみで、会場には汚いジーパンをはいて、はぁはぁ息を切らせながら飛び込んだ。
だけど、そこで出迎えてくれた人は…
男の人は紋付き羽織袴、女の人は振袖…
「え、何これ!? 場違いな所に来ちゃった…???」

そして、初日のプログラムが始まり… 
これは、大変なプログラムだということがわかった。
心の奥底の神聖な扉を開く…
「私とは誰か?」を問うプログラムで、本来の自分(セルフ)と出会い、
それになるための通過儀礼だ。
これは、瞑想の仕方のノウハウや日常に役立つアドバイスや知識を身につけるものではない。
「自分はこういう人」と思い込んでいる自己アイデンティティ(自己同一化)の覆いが取り外されるのだ…

だからね、2日目は、私も正装(ウフッ)。
一番良い洋服を選んで着て行ったよ。
内なる大いなる自己(セルフ)と瞑想の先生への敬意を表すためにね。

そして、2日目の瞑想。
瞑想の先生が、私の頭頂部に触れる。
目を閉じていた私の脳裏に、突然、まっ暗い死火山が爆発するビジョンが見えた。
火山のてっぺんから真っ赤なマグマが流れ出してくる。
それは、ゴーっという音を立てながらすごい勢いで私に迫ってくる。

火山
(絵:秋谷真由美)

そのとたん、マグマとともに7色の光が丸い玉になって私の方に飛びだしてくる。
まるで、スターウォーズの宇宙空間のよう…ぼんぼんぼんぼんものすごいスピードで、表れては飛び去っていく。
すごく美しい。
こんな美しいもの見たことない。
まるでSF映画を見ているようにリアル。

shaktipat.jpg
(絵:秋谷真由美)

次に、瞑想のポーズで座っていた私の尾てい骨の下から、
ぼこぼこ溶岩が煮えたぎるようにエネルギーが湧いてくる。
ものすごいバイブレーションだ! 
右から左、左から右…両足の内部に何千何万もの神経繊維があり、
その通路を伝って、まるで矢のようにエネルギーがかける。
繊細で細かなすさまじい速さの光の伝導。

そして、身体が揺れはじめる。
蓮華座を組んでいる両足から、エネルギーはその神経線維を伝わってすごい勢いで上昇を始めた。
身体が小刻みに揺れる。
足からへそ、胃、心臓、首、のどへと上昇。
エネルギーの振動は、身体の隅々にまで行き届く。
まるで、エネルギーがお掃除してくれているかのよう…

振動が頭部に達し、ちょうど耳のあたりまできたとき…内なる音楽が聞こえてきた。軽快で、心地よい、アップテンポなリズムで。

その脈動に、思わず心の中で
「お、ジャズだぜ」と叫んでいた。
実は私は音楽音痴で、ジャズはどんな音楽かも知らなかったけれど、ただ、そう叫んでいた。
リズムに合わせて手や足は小刻みに揺れ、すさまじく気持ちいい! 

反面、身体は揺れの中にいながら、心の中は静か…
ゆるぎなく不動…

そして、少しして瞑想から覚めたとき、あったかい愛がハートから湧いてくるのがわかった。
なんだかわからないけれど、涙がほほを伝っていた。
あったかい…

その後、瞑想の先生のもとに歩み出て頭を下げた。
そのときだよ。
4月9日にブログで書いた「桜の夢」の意味がわかったのは…。
観音様は私のセルフ、
そして、瞑想の先生だって…。
謙虚な素直な私の誕生。

何かが終わった…。その日から、目を閉じて瞑想すると、
紫の光がはっきりと見えるようになった。
まっ暗い世界から道が見え、
周りにいろいろな景色が猛スピードで飛び込んでは消える。
紫の光と見知らぬ道に分け入っていくビジョンは、
その頃の私の瞑想への入り口。

そして、その日から、瞑想の時間が待ち遠しくてたまらなくなった。
瞑想が大好きになった。

瞑想の体験はまだまだたくさんたくさんあるので、
次の機会にお話するね。

愛を込めて
こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。
私の家の各階のベランダにはえんどうの鉢植えがあるんだよ。
つい昨日のこと。
4才になるお孫ちゃん(かわいい~♡)が、5階で、
「収穫♪ 収穫♪ 今日は収穫だよ~。ママ、籠を持ってきて」
と大騒ぎ。
見ると、さやえんどうの実が10ケほどぶらさがっている。
小さな手で一つひとつ大切に収穫。
1才の妹にも
「この籠に入れて」と命令。
だけど、あっという間におしまい…ざ・ん・ね・ん

これが、その「さやえんどう」の写真だよ~
さやえんどう


そこで、私
「4階のベランダでも収穫できるよ」
孫は、目を輝かせて
「行こう! 行こう! 収穫だ!」
一緒に、4階へ。

でも、孫は、4階のえんどうを見て戸惑いぎみ。
「…どうして、ばひゃん(おばあちゃんの意味)の家のさやえんどうは太ってるの?」

スナップえんどう

えっ!? 
確かに、実が豊かで、太っている! 
よく見ると、「スナップえんどう」だ!
なぜ? 同じ袋に入った種を植えたのに…おかしいよ。
そういえば、5Fの花は紫色だったけど、うちの花は白色だった…
思い返せば、異なっていることが多かったけど、全部「さやえんどう」と思い込んでいたから気にも留めなかった。
こわいね~ 思い込みって…

たまに、私たちも、
何か行動を始めて、結果が出たとき、
「これって、私の望んでいたものと違う」と思うことってない?
自分の意図や動機、その効果等を期待しすぎたり、
意識しないで、結果ばかりを求めて行動してしまったり、
ほかの誰かの方法論や理論ばかりを真似して行動していると、
こういうことが起こりやすいよね。

「結果は、自分が播いた種」、とはよく言われることだけれど、
目の前に出てきた結果の責任は自分にあるんだね。
だから、自分に起こってくるいいことも悪いこともそれは収穫、
自分の行動の結果なんだね。

だから、私も、いじめられたり、失恋したり、理解してくれないお母さんだったり…原因と結果というとらえ方からすると、「私は被害者」ではなくて、こういう状況を呼び寄せた原因は自分にあるってことだね。これについては、これからブログで深めていくよ。

なんせ、お孫ちゃんの「さやえんどう」と「スナップえんどう」の収穫で、原因と結果の法則についてまで考えちゃった。ちなみに、この法則を越えることができる唯一の方法は、今この瞬間、自分の納得がいく意識した行動を選ぶことだよ。

…でも、でも、でも…それが、なかなかできないんだ…私の場合、特にダイエット…無意識でいると、ついデブのふとっちょの「スナップえんどう」になっちゃう…(笑)

ちなみに、収穫したえんどうはすべて、4才のお孫ちゃんがうどんにのせて一人で食べてしまいました。そして、食べ終わった後に…
「こんどは、イチゴを収穫しようね♡」
…だそうです。

それでは、またね
愛を込めて



こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。
きのうは、平井と亀戸をつなぐふれあい橋の川原に行ったよ。
久しぶりで、1時間くらい歩いて、やっとベンチに腰をおろした。
川面を眺め、くつろいだ気分でいたら、
「ああ、私、今までこうやって人生走ってきたな」て…
改めて思っちゃった。
なんせ、全力疾走の人だからね(笑)

上を見上げれば、桜が満開…まぶしいくらい。
桜はいつも、卒業と新たな出会いを運んでくる…
私が、初めて「桜の夢」を見たときもそうだったな。
その時、私の魂の旅が始まる大きな扉が開いたんだ!

今から、27年前。こんな夢を見た。
高い、たか~い山のてっぺんに、1本のろうそくが立っている。
雪と氷で閉ざされた暗闇の世界。
1本のろうそくは、その後、どんどん明るさを増し
やがて、観音様の姿になる。
私は、その像に心からひれ伏す。なんとも心地よい。
私の頭上には桜の花びらが…ひらひら舞いながら降り注ぐ。
そして、雪と氷の世界はいつの間にか緑の野原に変わっている。

私の精神の旅の始まりと、予知夢。

この夢の1カ月後、
私はインド人の瞑想の先生(悟りを開いた人)と出会った。
初めて会ったとき、この人が夢の中の観音様だってすぐにわかった。
そして、先生のもとに歩み出て頭を下げ、ひれ伏す。
夢と同じ…
小さい頃からいじめられっ子だった私は、形だけのおじぎをし、
決して人に心から頭を下げたことがなかった。
自分の中にガンとしたプライドがあったから…
でも、瞑想の先生の前で、それがガラガラと音を立てて崩れたんだよ。
考えられないくらいとっても謙虚で、ナチュラル。
素直な私の誕生だった。

やっと、出会えた!
暗闇の中で、私に光を示してくれる存在。

今だと、夢の中の観音様は私の大いなる自己(ユング心理学のセルフ、アーキタイパルイメージの一つ、自分の中にある神的な存在)、自分の中の大切な生きている神さまだって思う。
そして、瞑想の先生はセルフの体現者で、私が自分のセルフに至る道を進むために外側から導いてくれる存在だとわかる。

私の大好きな、大好きな瞑想。生命と同じくらい大好きな瞑想を、あれから27年間続けているよ。

このブログを書くようになって、みんなから「なぜ、いじめられっ子だったのに、今、こんなに生き生きとしているの?」って質問を受ける。
それはね、外側の取り巻く環境が変わったり、心理的なとらえ方が違ったりして成長したこともあるけど、大きな理由の一つは、私自身のセルフを知ったことかな。

だから、どんなクライアントさんが来ても、この人の奥には輝くセルフがあるんだってわかる。
私の夢のように、その光が輝き出しさえすれば、闇の世界はみずみずしい、緑の生き生きとした色のある世界に変わるんだ。
それを体験的に知ったからね…だから、安心なんだよ。

よく、「大切なものは目に見えない」って言うけど、
だけど、いつも、必ず、そこにあるんだよ!
それを伝えたいし、知ってほしいな。

私の内なる旅の始まりだよ。

ではでは、その私の大切な「桜の夢」の絵を見せちゃうね。

1枚目は、まっ暗闇の雪と氷に閉ざされた氷山の上に、小さなろうそくが灯ったところだよ。

夢1


2枚目は、ろうそくがどんどん大きくなって明るさを増している絵だよ。

夢2


最後は、ろうそくが観音様の像に変わり、暖かい日差しの中に花びらを降り注いでくれているところだよ。

夢3


さくらの花びらの下にいる私は、
本当に静かで、し・あ・わ・せ……♡

愛を込めて

こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。
すごしやすい季節になったね。桜は満開だし…。

私の部屋の隣は中庭になっていて、鉢植えが置いてあるんだよ。
この前の爆弾低気圧で、ほとんどの鉢植えはみんな倒れたけど、ただ一つ倒れなかった鉢植えがあるんだ…小さなカトレアの花の鉢植え。
激しい風雨に耐え落ちなかった、たった一りんの花……感動。

これがその花だよ。

カトレア

けなげだね。

そして、もう1枚写真見せちゃうね。これは、94才の義理の母。85才になって認知症のため寝たきりになってしまったけど、彼女は、その時まで主人のやっている八百金(やおきん)加藤商店を背負って、働きづめに働いていたんだよ。

そしてね、一りんの花のように彼女の名前は、「りん」て言うんだよ。りんちゃんは、今、入院していてね、病院の窓から満開の桜が見えるんだよ。桜の花びらを拾いに行って、りんちゃんに髪飾りとして飾ってあげたよ。いつも寝てばかりいるりんちゃんが、その時はぱっちり目をあけてね…花嫁さんみたいにきれいだったよ。

彼女は私をいつも影から支えてくれた人でね、
まだ、嫁いで間もない頃、りんちゃんばあちゃんに言われた言葉があるんだよ。
「お前はね、私の本当の娘だからね。自分の娘と同じように思うよ」て。

この言葉だけでもすごいけど、彼女はそれを有言実行したんだ。
地域社会の中で、嫁である私の悪口を一言も言わなかった。八百屋の世界へ嫁いだ私はなじみのないことばかり。右往左往したよ。だって、毎日15人分の食事を作っていたし…。だけど、りんちゃんは、娘のように私の言うことはすべて受け入れてくれた。

これが、りんちゃんの写真だよ。

りんちゃん

ベッドに横たわって、懸命に生命の炎を燃やしている。
ふれ~、ふれ~、りんちゃん。
けなげだね。

加藤家に嫁いで40年になるね。
今、何かに感動していてよくわからない涙が流れているよ。
多分、私は喜んでいるみたい。
彼女の生命の炎に感動している。
りんとして咲いた美しい一りんの花にね。

愛を込めて


こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。家のベランダに植えたさやえんどうの花が咲いたよ。白い花を見ていると、幸せだね~

今回は、私とアートセラピーの出会い。
これまで書いたように、私は絵によって救われてきたんだ。
だから、絵にはすごく興味があったよ。
だけど、それが仕事になるなんて何てステキ。

大学のとき…久保貞次郎先生という児童美術の先生に出会ったんだ。先生は世界中のこどもたちの絵を見せてくれたんだよ。
がみがみ言うお母さんを描く子どもの絵はみんな、フランスの子も、スペインの子も、アメリカの子も、すべて口が大きいんだ。
チック症の子はね、黒い線を格子のように描くし、
癲癇の子は、発作のときオレンジ色が出てくるんだ。
それが、すべて万国共通なんだ。
言葉を越えた世界、すごいって思ったね。

そして、そのとき、決めたんだ。
日本にはまだアートセラピストという仕事はなかったけれど、絵のセラピーをしよう。アートセラピストになろうって。

それから、芸術学科から社会福祉の大学に編入。卒論も精神分析のゼミで、「精神病院におけるアートセラピー」というテーマだったよ。
なんで、私が社会福祉かって…それはもうわかるよね。
いじめられ体験から弱者の見方になろうって早くから決めていたんだ。
高校3年の卒業アルバムのタイトルは「慈悲の心と奉仕の精神」。
苦しんだり、悩んだりしている人と一緒に添ってあげるお手伝いができればいいと思っていた。そして、その中でも一番の弱者であった精神障害者を対象に選んだんだ。

山梨の日下部病院で、白衣を着て精神療法の実際や絵画療法の現場に立ち合わせてもらった。
日本芸術療法学会もその頃はまだ小さい研究会で、最初から参加させてもらっていた。
患者さんの絵を研究したり、臨床の体験は心からわくわくしたね。

そして、念願の精神医療の現場へ! 
川崎に関東で初めてできた統合失調症の社会復帰施設に一期生として就職。自慢じゃないけど、すごい倍率だったんだから…統合失調症の患者さんと格闘。毎日がわくわくよ。

そこで初めて担当した患者さんは今でも忘れられない。
とてもきれいな女性だったな。真っ白な顔をしてベッドに横たわり、ピクリとも動かない。もちろん、名前を聞いても返事はないし、表情もない。
何か別の世界に行っていて、人間を忘れてしまったかのよう…
苦しさも訴える力もすべてない

…どうやってこの人とコミュニケーションとろう…
彼女の心を揺り動かしたい…できれば笑わせたい…だって、生きているんだもの。

毎日毎日、病棟に通った。何を言っても、うんでもない、すんでもない。くすぐっても、さすっても植物のようだし、反応がない。

しょうがなく自分の話をした…

「わたしさあ、好きな人がいてさ、ふられちゃってさぁ、
私の好きなタイプは……ねえ、どう思う?」
毎日毎日、彼女に語りかけた。反応はなかったけど、しっかり聞いている感じがあった。

何日か過ぎて、大好きなクレパスを病棟に持ち込んだ。
「絵描く?」 
もちろん、手は動かさない。
「あたしさあ、この色すきでさぁ」
自分で絵を描いてみた。
彼女は目で追っている。
…あ、関心を持ってくれている…

「クレパスで、私は赤が好きだけど、あなたはどの色好き?指さして」
なが~い沈黙の後、彼女はそっと手を動かし黄色のクレパスを指さした。
どんなにうれしかったか、わかる? 感動

「そう、黄色が好き? 黄色がすきなの?」私は叫んだ。
あぁ、関係が取・れ・たぁ~!

さらに、彼女を笑わせたくて、クレパスを鼻の穴に入れた。
笑ってくれない。
ぽとっ(それは全く偶然だったけど)…鼻の穴からクレパスが落ちた…
ふっ、と彼女が笑った。
やった! なんて幸せ

彼女はゆっくりうなづくようになった。イエスだ!
首を横に振る。ノーだ!
そして私が描いた絵に、彼女が続けて描く。

それから、少しすると、彼女はなぐり描きを自分から始めた。
彼女の口から言葉は聞けなかったけれど、彼女が喜んでいることがわかった。そして、悲しんでいること、辛いことも感じ取れるようになった。

これが、初めての職場、初めて絵を通して関係性をつけることができたケースだよ。
今でも、彼女の笑顔を思い出す。

統合失調症の患者さんの絵の世界はおもしろかったね。
孤独な世界、分裂している二つの世界、恐怖感や怒りの世界、いろいろな世界を絵を通して感じたよ。妄想、幻覚、幻聴。絵は言葉を越えて、その人のまるごとを表してくれる。うれしかったね。こっちが興味を示し絵を尊重すると、絵が好きじゃない患者さんまでどんどん絵を描いてくれる。

次の写真は、統合失調症の患者さんと一緒に絵を描いているところ。
これが、その後の私のライフワークでもあるアートセラピー実践の始まり!

アートセラピー1(t)


それじゃ、また
愛を込めて

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