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オーロラ・シャクティ

Author:オーロラ・シャクティ
オーロラ・エナジー日記にようこそ!
瞑想と家族を愛し、セラピストとして豊かな経験を持つBodhini(ボディーニ)と、その仲間 Jnana(ニャーナ)の日々の出来事です。


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お花見の季節になりましたね!

つい、2,3週間前までは、無彩色の枯れ枝だったのに、
つぼみが膨らんでくるにつれ、
木全体が、うっすらと淡いピンク色のベールをまとう。

とりわけ、夜、開花まもない木が、まだ花もつけていないのに、
ぼおーっと、かすかな発光体として浮かび上がる様は、
満開の桜とはまた異なった趣があります。

その年によって、早い遅いはあるにしても、
春になると必ず花を咲かせる、その様子は、
人もみな、時期が来れば開花するんだ、ということを
教えてくれるようで、うれしくなります。

ちなみに、仏教で、蓮の花が聖花とされているのは、
あだ花がないからだそうですね。
つぼみがついたら、すべて花を咲かせるそうですよ。


さて、最近、何人かの方から、
「感情が出てくると瞑想できない」との話を聞きました。
確かに、そうなんですよね。

怒りなんかはてきめんですが、ほかにも・・・
「自分は、これでいいんだろうか、ほかにやることがあるんじゃないか」
とあせっているとき、
「私が悪いんだ、私がダメなんだ」
と責めているときなど・・・
あと・・・気分が高揚しているときや興奮しているときも、
座ることはもちろん一箇所に落ち着いていることもできません。

個人的には、感情や思考は、形はないけれど、身体を動かすエネルギーような持っている、と思ってます。

・・・というのは、
私には、子供の頃から、感情や考えが活発になってくると、
じっとしていられなくなるというくせがあり、
しょっちゅう部屋の中や家の外を歩きまわっていたからです。
学生時代などは、机に向かっている時間より、
外を徘徊していた時間の方が断然長かったものです。

多分、身体を動かすことによって、感情や思考から生じたエネルギーを消化していたのでしょう。
感情や思考が落ち着いたとき、
「ああ、これで終わった」
と思って、机についたことを覚えています。

また、感情や思考は、そのエネルギーに沿ってあげることで消えていくこともありますね。
小さな子供の話に耳を傾けるように、自分の心に耳を傾けてるのもいいかも・・・。

いずれにせよ、一つ思うことは、
その感情や思考が、
自分を高揚させるものであれ、抑圧させるものであれ、
いつかは消えていくということです。
これが、残念でもあり、うれしいところです。


さてさて、桜は、移ろいやすさの象徴でもありますが、
桜を楽しむように、自分の感情や思考も楽しめたらいいな、
と感じてます。

(Jnana Wrote)




今日は、まずお知らせからです。

加藤さんがおばあちゃんになりました! ついに! 
1月27日に元気な男の子のお孫さんが産まれました。
おめでとうございます!!

実は、このことは、私にとっても思わぬ副産物がついていました。

27日は、オーロラのタロットと夢のワークショップが入っていました。当日、しかも直前に加藤さんから、「お嬢さんの出産状況が思わしくなく付き添っていなくてはならないので、夢の部分だけやってくれないか」との話が・・・

確かに、夢は10年以上もやっているけど、こんな直前に? いくら何でも心の準備というものもあるでしょ!・・・と、言われた途端に怒り心頭・・・(私は、はっきりいって短気です)

どうしよう! と思ったとき、たまたまその朝、『夢のメッセージ』(PHP出版)の中で読んだ、「成長は変化の中にあるのに、現状維持に汲々としている人は、チャレンジが来るとすぐ怒りが出る」という言葉が頭をよぎりました。

そうか!
確かに、この事態って、一面、理不尽な要求を突きつけられているようなのですが、別の視点からすれば、自分を表現できるチャンスを与えられたと取ることができます。

しかも、先日ブログで紹介したプレゼントされた夢も・・・
「怒りを解消する時期が来ていますよ。ハートを開くために、第2チャクラを活性化しなさい」。この夢の文字通りの意味は、
・・・怒りを怒りとして発散させるのではなく、怒りを創造のエネルギーに変えなさい。

要するに、加藤さんからの提案は、ワークショップをやるやらないの選択ではなく、
夢の告げている2つの選択のうち、どちらを選びますか? という実践を問うものだったわけです。
 
怒りを発散して、「急だし、できないからやりたくない」「変わりたくない」「やらない方が楽だし、傷つかないからやりたくない」etc、という現状維持に留まることにエネルギーを使いますか?
それとも・・・
「変化を受け入れて、チャレンジする」という方にエネルギーを使いますか?

怒りは、自分にとって何かチャレンジなことを突きつけられたとき、
それに対する抵抗感として生じてくることがあります。
怒りは、感じなければいい、なければいい、というものではないようです。
怒りを感じる、そのサインこそ、
「あなたに、何かチャレンジなことがきていますよ。
そして、それは現状を変えられるとても大切な何かですよ」
というメッセージかもしれません。

さて、肝心のワークショップですが、
導きを求めて引いたタロット・カードも「Anger、怒り」、
そしてシェアされた夢の内容も、
ほとんど「怒り」に関するものでした。
ああ、天って、やさしいな、と感謝でした。

どうも、ありがとう!

(Jnana Wrote)


実は、実は・・・今日は、私の誕生日! 

実は、私は長いこと、自分の誕生日を人に言うのが嫌いでした。
子供の頃に、両親から誕生日を忘れられたことがあって、「私って、親にとって、いてもいなくてもいい子?」と強烈に思った記憶があるから…

友人たちが誕生日を知っているのに、何も言ってくれなかったら…何もプレゼントがなかったら…お祝いしてくれなかったら…、すっごい「寂しい」だろうって…
誕生日を認知されないってことが、あなたって存在感のない人だよ、って言われているみたいで…「寂しい」って感じるくらいなら、何も言わないで、一人で過ごしたほうがいい って…

「孤独」は耐えられるけど、「寂しさ」はイヤ。「寂しさ」は、一人ぼっち…必要とされてない…生きていても仕方ない…。「寂しさ」を感じたら、先に進むことができない…。だか
ら、感じないように、他人と一緒にいられるように、他人から必要とされるように頑張らなくっちゃ…

でも、もしかして、「寂しさ」と一緒にいた方が「寂しさ」は消えていくかも…そのことを教えてくれた出来事がありました。

あるとき、会社の帰りに、どうしても寂しくて寂しくてたまらなくなって、乗換駅で降りて、公衆電話に直行しました。理由はわかりません。ただ、無償に誰かの声を聞きたかったのです。(ちなみに、私は用件がないと電話をかけない人です)

ルルルルル…、カチャ、
「もしもし、…です」と友人の声。
「…別に用件ないんだけど…」と私。
…説明する言葉も続かないし、元気もなかったのでしょう…
彼女は、何かを察して、自分の世間話を始めました。
「どうしたの?」でも、「相談にのるよ」でもなく、
淡々と自分の話を続ける彼女に、「私がしゃべっている間、何も言わずにそのままの状態でいていいよ」、と受け止められた気がして、泣いてしまいました。

もし、「どうしたの?」と聞かれたら、どこかから言葉を出して説明したに違いないのですが、それは、つじつまをあわせるだけの言葉で、きっと話せば話すほど、「何か違う、何か違う」と感じたことでしょう。言葉は、たまに、しゃべればしゃべるほど、自分とかけ離れていくことがあるからね。

ま、「寂しさ」って、一人で抱え込むより、とりあえず誰かに伝えることで軽くなるみたいです。でも、伝え方は要注意かも…

…なぜかというと、今、隣のカップルが教えてくれているのですが…

二人は、大学のサークルの運営について話しています。
女性は、責任感の強い人らしく、理路整然と問題点を話しているのですが、どうかすると声のトーンが高くなるので(だから、話も筒抜けなのですが)、そのたび周りのお客さんがピクっとなります。

……正直な感想、確かに彼女は正論を言っているけれど、その話し方だと伝わらないよ。
本人は気づいていないけど、発散されているエネルギーは怒りだし、しかも、もっと始末の悪いことに、彼女が本当に伝えたいのは、「孤立して困っているから助けてほしい」のようなのだけど、それを、「自分はこういう努力をしてきたし、こういう理由で正しい」と正当化して伝えているから。

…挙句、周りのお客さんの方が席を立っちゃった…怒りのエネルギーの強いところはみんなイヤなんだね、わかっちゃうんだよ…

ちなみに、隣にいる加藤さんが、私のブログを横目で見て一言。
「この女性って、Jnana だよね」
はい、本当にそうでした。

それでは、また。アハッ…

(Jnana Wrote)



ずいぶんご無沙汰してしまいました。

バタバタと体調不良と・・・今も、ちょっと咳が出ています。
先日、多摩川の土手を歩いていたら、野良猫が遊んでいました。遊んでやろう、と近づいたところ、猫は、ぱっと身を翻し、土手をさあーっと逃げていってしまいました。

その途端、それまでなんの兆候もなかったのに、急に咳き込んでしまいました。
あまりに突然で、何だろうこの咳は・・・・・? 
心の中にあったのは、猫に逃げられてショック、寂しいなという思いでした。
猫に逃げられただけでショック? 寂しい? そんなこと認められないよ。
もう片方の自分がそう反発すればするほど、咳は止まらず・・・言葉で「寂しい」と言えない代わりに咳がそれを代弁しているかのようでした。

「寂しい」って、私にとって、どこか敗北感がつきまとう言葉で、
そう感じても何もいいことはないし、感じるだけムダと思って、脇に押しやってきた言葉でした。
「寂しい」って感じないように、何かできることを探す、何かすることを探す、そうならないように一緒にいる人を探す・・・
・・・でも、そうやってやればやるほど、「寂しさ」の空洞は広がっていくような・・・

確かに、私、「寂しい」って拒否してきたかも・・・そう受け入れたとき、
咳も落ち着いてきました。
そして、ふと土手の下を見ると・・・

なんと、さっき逃げていってしまった猫が、再び土手を上がり、私の方に近づいてくるではありませんか!

触れるくらい近くにまでは来ないのですが、土手の上にちょこんと座り、私の方を見ています。「側にいるよ」と言ってくれているかのように・・・

猫と遊ぼう、と思ったとき、私の心の中に「寂しさ」を紛らわすために、猫に手を出さずにはいられないものがあったのかもしれません。多分、それは外向きの強いエネルギーで、猫ですら排除してしまうものだったのでしょう。私自身が「寂しさ」を受け入れたとき、猫が戻ってきたように、人と一緒にいるスペースが開き、「寂しさ」自身が癒されるのかもしれない、とちょっと思いました。

追伸:後日、加藤さん曰く。「寂しさ」を受け入れることは勇者の行為ですよね。特に、女性にとっては大きな課題かもしれませんね、とのことです。

(Jnana Wrote)

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