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オーロラ・シャクティ

Author:オーロラ・シャクティ
オーロラ・エナジー日記にようこそ!
瞑想と家族を愛し、セラピストとして豊かな経験を持つBodhini(ボディーニ)と、その仲間 Jnana(ニャーナ)の日々の出来事です。


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こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

5月9・16日号の週刊誌『女性セブン』に、
加藤の記事が載りました。
今日は、それを紹介するね。

女性セブン

<記事本文>
 広島県福山市の景勝地・鞆の浦の一角にある「鞆の津ミュージアム」で、4月20日から一風変わった展覧会が開かれている(6月23日まで)。
 
タイトルは、『極限芸術~死刑囚の表現~』。死刑囚約30人が描いた
300点余りの絵画が展示されている。

 同ミュージアムのアートディレクター・櫛野展正さんがこの展覧会を企画したきっかけは、林真須美死刑囚(51才)の絵だったという。

 「去年、広島市内の絵画展で見た林死刑囚の絵に衝撃を受けました。“自分はここにいるんだ!”という存在証明のために描かれている気がして、恐くて落ち着かなかったんです

 林死刑囚は、98年の和歌山毒物カレー事件で、4人の死者、63人のヒ素中毒者を出し、09年に死刑が確定。

 その彼女が今回出展した作品は7枚にのぼる。その1枚が『国家と殺人』(下写真)だ。

 日本のアートセラピー(絵画療法)の第一人者・加藤るり子さんは、こう分析する。
この絵に使われている赤と黒からは、彼女の怒りや不満、抵抗感がひしひしと伝わってきます

 さらに加藤さんは、絵のなかで上下に平行に走る白いラインについて、次のように分析する。
平行線は、他人と距離があることを示していて、林死刑囚の“他人とわかり合えない”ことへの悲しさや寂しさが滲み出ていると思います

 絵は色鉛筆で色紙に描かれている。加藤さんによれば、鉛筆のような硬質の筆記具を選ぶ人は、心に闇を抱え、頑なになっていることが多いという。

他の『母と子』という作品も見ましたが、その絵には温かみが感じられます。しかし、『国家と殺人』では完全に心を閉ざしている。7枚の絵を通して、林死刑囚の心境の変化を感じ取ることができるでしょう」(加藤さん)

 すでに刑が確定している林死刑囚。心情を訴えるなら今でしょ…とは、もはやいかない。


これが、林死刑囚の「国家と殺人」という絵だよ。
雑誌はモノクロ掲載なので、
みんなには、カラーでお届けします。
これを見ると、加藤のコメントの意味が
もっとはっきりとわかるはずだよ。

Epson_0305_1.jpg
(林真須美「国家と殺人)

林真須美の絵は、ほかに7枚ほど見せてもらったけど、
どれを見ても苦しかったね。
正直になれない葛藤…ひしひしと感じて、痛いほどだった。
全部オープンにしちゃえばいいのにね。
彼女は今でも無罪を主張しているんだって…。
苦しいね。

さてさて、みんなはどんなふうに感じたかな?
それでは、またね!

愛を込めて
こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

地井武男さんに続き、
これも10年以上前にご縁をもった杉良太郎さんの絵
について今回は見ていくね。
絵から性格傾向を見るというテレビ局の企画で
オーロラが取材を受けたときのものです。

杉良太郎さんについては、みんなよく知っているね。
歌手や俳優としてはもちろん、
ボランティアやチャリティーの活動でも有名だね。
そして、彼は46才から、
趣味として油彩で絵を描き続けているんだよ。
今日は、彼の絵から、芸能界で成功する条件について見るよ!

まず、1枚目の絵。華やかな絵だね。
たくさんの花に囲まれて、典型的な芸能人の絵だね。

山・花風景

芸能界で成功する条件の1 は、
カリスマ性があり、独特の個性や華があること。
たくさんの花々から、自らも華があり、
そして、人に愛を与え、夢を与え、楽しんでもらうことに
喜びを感じる人であることがわかる。
この絵を見ていると、
人へのサービス精神にあふれていることが伺える。

芸能界で成功する条件の2 は、
役になりきり、一つひとつの役を演じきる才能があること。
種々雑多な花をさまざまな色や描き方で描いているところから、
彼にとって、役者はまさに天職なんだろうね。
一つひとつの花が生き生きと描かれているものね。

芸能界で成功する条件の3 は、目的やゴールをしっかり持つこと。
絵の上部に描かれた青い男性的な山は、彼が孤高で、
高い目標を持っていることを表しているね。
しかも、この山はとがった山だから、自分のやり方を持ち、
自分にも他人にも厳しそう。
時には周囲から理解されないことも多かったんじゃないかな? 

芸能界で成功する条件の4 は、人生のどん底を経験していること。
画面中央に描かれている黒い枯れ木がそれを象徴しているね。
絵の中央部分は現実を意味し、黒い枯れ木は、
人生の根源にしんどい状態があったことを表している。
実際、有名になるまでには長い下積み生活や、
幼少期にはいじめられ体験や貧困も経験しているとのこと。
彼は、そうした体験を役者として成功するための原動力とし、
不屈の精神をつちかったんだね。
そして、人生のどん底を経験することで、
人へのやさしさや共感性を養い、
ボランティアに奔走する彼を作りあげたんだね。
すごくたくさん、表彰や叙勲されているね。
彼は、本物の奉仕の人だね!!!

だけど、どん底というのは、経済的な貧困だけではなく、
精神的な落ち込みや挫折体験も含まれるよ。
成功するために必ずしも必要というわけではないけれど、
そこから得られるものが多いということだよ。

白いひな

芸能界で成功する条件の5 は、純粋さと強さを持つこと。
この絵は、ひな鳥が口をあけて餌を食べさせてもらっているところ。
この白い鳥は彼の純粋な精神性を表し、
生粋の自分の信条を守ろうとする強さが
幼少期からつちかわれていたと見ることができるね。
またこの絵は、ひな鳥が餌を食べさせてもらっているところから、
無条件の母子関係、母への傾倒があることが伺えるね。

段々畑

芸能界で成功する条件の6 は、やるべき行動は完璧にやるということ。
この絵はすごいね~。
田んぼは労働を表すけど、たくさんの棚田から、
今の成功を勝ち得るには並大抵の努力ではなかったことが伺える。
そして、この畑にはありのようにたくさんの働いている人がいるんだよ。
彼が一人ひとりを大切にし、やるべきことを着実にやってきたこと、
そして、それが成功に結びついたととらえることができるね。

不動明王

芸能界で成功する条件の7 は、品格と運を呼ぶこと。
これは、彼の本質を表すと思われる不動明王の絵だよ。
片手に剣を持ち、炎の光輪を背負い、竹のいらくさの上に座っている。
牙をむき、目は見開き、にらみつけている。
彼の舞台での流し目は多くの女性をとりこにしたけど、
この不動明王の目には色っぽさなんてみじんもないね。
男の中の男だって思うよね。
また、神仏への祈りを通して大いなる運を呼ぶことも大切だね。
そして、この絵を見るとき、人へのやさしさやいたわりに不動である
彼の暖かさを感じるのは、私のひいき目かしら!? 
これからも応援していますね。杉さま♡♡♡

さあ、ここまで、杉良太郎さんの絵から、
芸能界で成功する条件について見てきたよ。
この中のポイントのいくつかは、
あなたが仕事で成功したいときに活用できるものでもあるんだよ。
ピンをくるものがあったら、ぜひ自分のものにしてみてね。

今日はここまで! 
それでは、またね。
愛を込めて

こんにちは、加藤です。今日もお邪魔しますね。

今年の6月に俳優の地井武男さんが70才で亡くなりましたね。
地井武男さんは絵が趣味で、ご自身もテレビ朝日の番組
「ちい散歩」の中でも絵手紙を紹介していました。
実は、10年以上前、彼の絵から性格傾向を見るというテレビ局の企画で
オーロラが取材を受け、彼とご縁を持ちました。
まずは、彼を悼んで、感謝と共に彼の絵を紹介することにしましょう。
どんなふうに感じるかな?

うさぎ

冬枯れ

どうですか? ちょっと意外な感じかな? 
日頃ソフトでいい人の役割が多かったので、
絵は、それと違って、暗い感じがすると思われた方も多いんじゃないかな?
そうなんだよね、全体的に暗く、重苦しい感じがするね。
ちょうど、この頃、彼は役者としてより、バラエティの方でブレイクする兆しがあり、本人もどちらの路線で行こうか迷っていたときの作品群だよ。
そして、今日は、たくさんの彼の絵の中から一部をピックアップして、
その才能とその活かし方について見ていくね。

まず、彼の才能を見てみましょう。

1枚目の絵は、うさぎがかごを持っている絵。
収穫の実りが落ちてくるのを待っているところだね。
うさぎはトリックスター(ユング心理学の元型:アーキタイパルイメージ、の一つ。実質の王としての知恵をつかさどるもの)。
彼は男性なんだけど、ファンタジーの絵やうさぎというかわいらしい象徴を選んで描いているところから、内面は女性的であることが伺えるね。
つまり、目的達成的でばりばり行動したり、主義主張を通すより、
うさぎのように聞き耳を立て状況判断し、
協調性に富み、愛とか知恵、感性が勝っている人のようだね。

2枚の絵も、「冬枯れの木」というタイトルがついているけど、
この木の枝ぶりは見事で、豊かに描かれているね。
バウムテスト(樹木画)の分析から、
幾重にも重なって伸びている小枝の描き方は、
彼が多彩な才能や感性の持ち主であること、そして、
状況の全体的把握ができる頭のいい人であることが読み取れるね。
微細な光と影のさじ加減からは、
やさしさや繊細さが感じられ、「ちい散歩」で見せたスタッフ一人ひとりへの気配りはまさにこの小枝が象徴的に表しているね。

ただ、2枚の絵とも、「実りを待つ」、「冬枯れ―春を待つ」など、「待つ」とは女性性の一側面で、受け身の受動タイプだったことが伺えるね。
おそらく、仕事に関しても、自分で積極的に売り込みをし行動していくより、
来た仕事を器用にこなすタイプだったかもしれない…。
もちろん、これは、彼の暖かくてやさしい人柄によるところ大なのだろうけど、アートセラピーからこれらの絵を見ると、
自分の才能を充分に発揮できていたかどうか、どうしても疑問が残る。
なぜかというと、2枚目の絵は冬枯れだね。
才能を凍らせていると見ることができるからね。
では、充分に発揮できなかった原因は何かな? 

橋

上の絵は、彼が海外に取材に行ったとき描いたものだそうだよ。
一番目立つのは橋。
彼が、2つの世界、人と人、地域で生活している人と自分等つながりや絆を大切にしていたことがわかる。
他者や周囲に暖かな思いやりをかけられる人だったのではないかな?
でも、この橋、少々無理があるね。
「冬枯れの木」も豊かな小枝の樹冠の割に根が希薄で、
しかも幹はところどころ白く抜けているところが見える。
おそらく、周囲の意向を優先させ、
自分を押し殺していたところがあるんじゃないかな? 

芸術家は強烈な個性や自己表現が求められるので、
役者としてやっていくには、少し希薄なところがあったかもしれない。
バラエティや「ちい散歩」への道は、彼の才能というより、
人柄や彼の女性的な特質を生かした道だったかもしれないね。

もちろん彼はそこで評価を得、多くの人から愛されたわけだから、
それはそれでいいのだけれど、個人的には、これらの絵を見ていると、
彼は本当にそれを望んでいたのだろうか? とフト疑問がよぎる。
それより、この重苦しい絵からは、もっと強烈に自分を外に表現したい、
または才能を縦横に開花させたい、という声が聞こえてくる。
本当は、トップの役者としてやっていきたい、
というのが本音だったのではなかったかしら!?

塔

上の絵は、塔の絵。
おそらく、これも旅先で描いた絵。
塔は、幽閉された魂。
重苦しい絵だけど、もし、これが彼の心象風景だとしたら、しんどいよね。
たくさんの才能や感性、そして自分の正直な思いを
塔に閉じ込めていたような気がする。
本当に自由にしてあげたいって思うよね。
え? どうすればいいのかって?

そうね、そこもアートセラピーから見てみようか。
まず、ずっと「待ち」の絵が多いでしょ?
あなた次第、環境次第ではなく、自分で目標を持ち、
それに向かって行動する必要があるね。
周りから良い人と評価される人の中には、
自分のための行動は二の次で、他人を優先させてしまう。
でも、才能を活かすためには、自分自身に対して、そして自分のやりたいことに貪欲で、それに見合う努力をする必要があるんだよ。
やりたいことを獲得するには外側への表現、
つまり、しっかり行動を起こしてね。
自分の才能に自信が持てないために、良い人にならないでね。
これ、ごまかしだよ。

そしてね、これだけ豊かに才能や感性を持っているのに、
彼の絵は固く、知性的、理性的な描き方だね。
ここを打ち壊すためには、役を選ぶ必要もあったかも。
ソフトないい人の役が多かったけど、
それだけだとさらに自分を枠にはめていくことになる。
特に頭のいい人だから、こなせるだけに苦しいね。
もっと感情的、それもむきだしの感情を表現できる悪役や敵役
…やくざ映画の組長とかね。
役者さんは、疑似体験だけど、
役になりきることで自分を解放していくことができるからね…。
一つの概念、一つのやり方、または周囲からの期待に応えるような選択だけだとその枠にはまってしまってにっちもさっちもいかなくなってしまう。
これも要注意だね。
これは地井さんのことだけじゃないよ。
みんなの人生についても同じことだよ。
自分の役割を取り外して、
他人にどう思われようと本能のまま暴れてみるのも素敵だね。

最後に次の絵を紹介するね。
これは、きれいな水彩の「風景画」の裏側に描かれていた絵だよ。
アートセラピーをやっている人は、2枚画法については習ったよね。
裏側に描かれている絵には、本人の本音が現れるって…。
忍耐強く整えられた1枚目の「風景画」の裏側に、
海辺を自由に駆け巡る少年の姿がいるね。
犬をお供に砂浜を喜んでかけっている。
わぁー、楽しそう…。
彼は、本来、自由で囚われない軽やかさを持った
永遠の夢見る少年だったんだね。
この広がり、伸びやかさ、自由さ、かったつさを、役者としてやりたいことをやる中で実現できたなら、もっと魅力的だったかも…。
でも、この絵って「ちい散歩」そのもの。
やっぱり、あたり役だったんだね。

少年と犬

今日は、地井武男さんの絵から才能の活かし方について見たよ。
絵は、今、あなたが置かれている現状認識を教えてくれる。
絵からフィードバックされたメッセージを受け取り、
さらなる成長飛躍へ行動化することができるんだね。
みんなもがんばれ!!

最後にやさしかった彼に、心からご冥福をお祈りします。

それでは、またね
愛を込めて
こんにちは、加藤るり子です。今日もお邪魔しますね。

前回、草間弥生を取り上げ、
絵を描かざるをえない衝動について見ていったけど、
本当にこうした画家さんは多いんだよ。

病跡学(パトグラフィー)という学問があるんだけど、
これは天才と呼ばれる人物を精神医学および心理学の観点から
研究・分析する学問なんだ。
つまり、簡単に言うと、
天才の芸術家を心の病や狂気という視点から解析するということかな。

病跡学の対象となる有名な画家では、
ゴッホ、アンソール、ムンク、ユトリロ、ダリなどがいるね。

エドヴァルド・ムンクの「叫び」もみんなはよく知っているけど、
この絵は、精神医学の観点から見ると、統合失調症の前駆期、
つまり症状が出始めの頃によく見られる世界没落体験を
表しているとも言われたりもしているんだ。
また、ダリは精神病質(偏執狂)、ユトリロはアルコール中毒の
典型的な絵として研究されているね。
確かに、ユトリロの絵は、人物が全部後ろ向きでしょ? 
アートセラピーの観点からも、自分や人への不信感、
自己肯定感の欠如を抱えていたという見方ができる。

今日は、病跡学からの観点から、
スロヴェニア共和国の画家ヨージェ・ティスニカルを紹介するね。
まずは、彼の作品と言葉を見てみよう。
どう感じるかな?

せんもう
「せん妄」

「アルコール中毒だった私は、
とうとう精神病院の院長にアルコール中毒による禁断症状のせん妄
(意識混濁を伴う幻覚が現れやすい心の状態)を改善するため
入院させられた。入院中、アルコールが薄れていくとひどい苦痛に
悩まされ、地獄の責め苦を受けているようだった。
亡霊が私のまわりにただよい、化け物がからかうように私につきまとい、
逃げようと思っても逃げれない。心は奈落の底…」

彼の絵には、小さな昆虫や得体のしれない小動物がよく出てくる。
これは、アルコール中毒の禁断症状のときに表れてくる
典型的な幻視の症状なんだよ。
壁や柱の隅、天井の一角から小さい昆虫などが塊となって
湧いてくるのが見えたり、すさまじい恐怖感が湧きあがってくる。
この「せん妄」の絵にも、幻視が現れているね。

幽霊
「幽霊」

「精神病院はアルコール中毒患者でいっぱいだった。
助けを求めているのは私だけではない。
同室の患者たちは恐怖におののきながらも、
絶望の淵からはい上がろうと努力していた。
夜は、寝れずにいた。
周りにいる患者たちは泣きわめき、
彼らに襲いかかる目に見えない暴力や化け物から身を守ろうとしていた。
無力さや恐怖心や孤独でいっぱいだった。
…あざけりながらやってくる幽霊たちは
毛深く裸のままで白い粉を振りかけられたようであった。
私は、自分を守るのが精いっぱいだった」

このティスニカルは、病院の死体解剖の部署に勤務し、
8000体以上の遺体解剖に立ち合ってきた。
家族や友人のいない孤独な彼は、精神的な苦悩からアルコール中毒に、
そして自殺未遂を何回か繰り返し、その中で、絵を描かざるをえなかった。

マリボル
「マリボルのせん妄」

「これは病院に入院して2,3日目…描かずにはいられなくて、
…1秒たりとも待ってはいられなかった…それは私の意志というよりも、
何か強い衝動が私を突き動かしていた。
ベッドの上から、ゆらゆらと煙が立ち上るのを見た。
突然煙の中から幽霊が現れた。幽霊は言った。
『おまえは解剖台の上に寝かされているのが解らないのか。
次はおまえが死ぬのだ』。
そのとき幽霊は私を見て、あざけり笑った」

ティスニカルは、ほかにも、解剖した遺体と対話しながら、
死に関するいくつかの絵を残している。
絵から彼の日々の心の闇や心境を読み解くと、
人って、同じ地球に住んでいながら、
こんなにも苦しい世界を現実としてながめ、
生きているのかとしんどくなるね。
だけど、それがゆえに、生きることの意味について
深く考えさせられる強烈な作品を彼は死ぬまで描き続けたんだね。

これから、いくつかの彼の作品を紹介するね。

病気の黒い影
「病気の黒い影」

「コウモリは何だろう? 
コウモリは、すべての人間の頭上に舞う病気と死の黒い影である。
ふだんわれわれはその影を気にもとめていない。
それでもなお、時々、何かおそろしいものがやってくる
という不安に脅かされるときがある」

人海
「人海」

「死体は昼夜かまわず、私の解剖室に運ばれてくる。
あるときは一人、3人、5人、あるいはそれ以上である。
死者の処理をしているとき、私は死んだ人がまだ生きているような気がする。
彼らは去年は何をしていたのだろうか? 
彼らの最後の望みは何だったのだろうか? 
死体を前に、目を閉じた途端、彼らの姿が浮かぶ。彼らは人海のようだ。
順ぐりに現れては、ロウソクの炎を消し、この世から消えていく。
何一つない地平線の空に…」

今日は、ティスニカル本人の絵と言葉から、
アートセラピーの軌跡をたどったよ。
絵は、彼にとって、自分の不安、絶望、孤独、悲しみ、怖れ、
苦しみといった葛藤や苦悩と戦うための手段だったんだね。
そして、彼は絵によって、自分の描かざるをえない苦しさを
心理的に昇華することに成功した。
まさに、アートセラピーの実践的な適用例と言えるね。

見ていてしんどくなるほどの重苦しさだけど、
その奥に、人としてのいとおしさを感じる、
私の大好きな画家だよ。
最後に彼の「自画像」をプレゼントするよ。

自画像
「自画像」

それでは、またね!
愛を込めて。
こんにちは、加藤るり子です。今日もお邪魔しますね。

今日は、草間彌生について見ていくね。
かの有名な、そして時代の寵児である83才の女流画家だよ。
みんなも知っているよね。
彼女は、水玉の世界を描き続けているね。
近頃では、ルイ・ビトンとのコラボが有名で、
9月の末には、NHKスペシャル「“水玉の女王”草間彌生の全力疾走」や、
NHK Eテレの「ユーミンのSuper Woman」でも取り上げられていたね。

草間作品

まずは、彼女の作品を紹介するね。
畳2畳分くらいの大きさがあるんだけど、
これを1日で仕上げちゃうパワーを今も持っているんだね。
すごいね~ ホントに超人的なエネルギーだね。
執念にも近い強迫的な描き方だけど、
「生きたい」というエネルギーを爆発させて叫んでいるのが伝わってくるね。
だけど、同時に執拗なまでの圧迫感。
何から逃れたいのか、描かざるをえない苦しさも感じるね。
絵の中でしか生きることを実感できないしんどさ…。

実は、この草間彌生は、自分でもNHKで言ったように、
不安神経症、強迫神経症という病名がついているんだね。
また、幼少期から幻覚や幻聴体験にさいなまれ、
自殺しないための方法として絵を描く表現があったんだね。
本人の言葉を紹介するよ。

「私自殺しそうなの。どうしよう」
「自殺の恐怖で不安がいっぱいなの」
「くらくらっとしても、絵を描くとすーっとよくなるの」
「幸福なのか、不幸なのか、絵があったから生きていられたのよ」

生きていくために必要な絵。
生命の叫びだったんだね…

たまたま、私の恩師が、彼女の精神科の主治医だったこともあり、
彼女にはなじみがあるんだ。
今日は、彼女の絵から、心の闇からはい上がるため描かざるをえない、
絵を必要とせざるをえないアートセラピーの深層について見ていくね。

草間作品2

画家の中には、描かざるをえないから描く画家がいる。
彼女も、くずれそうな心の堤防を守るために、
必死で強迫的に、生きるために描き続けなくてはならなかった。
目の前には自殺…。
自殺への不安。
死にたいと思う強迫的な衝動…。
水玉模様のモチーフは生まれ続けなければならない…。
病から焦点が移り、制作しているときにだけ感じる創造性や集中力、
そして静けさ…、
つかの間の正気。

私の長い精神科臨床の中で、統合失調症やうつ病、
パニック症害や強迫神経症、適応障害等、心の病に冒されている
たくさんの患者さんたちが絵を描いている場面を見てきたけれど、
鬱積したストレスや自己の挫折体験、抑圧された内的エネルギー
を原動力にして絵を描かざるをえない患者さんたちと
たくさん出会った。

紫色だけしか使えない患者さんや、
ため息交じりに鉛筆で精密に風景や静物画を描かざるをえない患者さん、
リストカットの血液と思われるような苦しい破壊的な状況を絵にする患者さん、
モチーフとして自分の幻覚妄想状態を描く患者さんや
草間彌生のように強迫的に乗っ取られたように
同じモチーフを繰り返す患者さんたちがたくさんいた。
自分の狂気を反芻し、すさまじいエネルギーでどこに突破口があるのかを
絵によってまさぐっている場面に出会うこともしばしばだったよ。
絵が上手とか、下手とか関係なく、
自分の内に鬱積した屈折したエネルギーを吐き出していた。
そんな彼らを見ていると、どんな絵にも、
絵は一筋の光へと導くエネルギーがあるんだっていつもいつも感じていた。

私も若い頃、うつ状態になったとき、
太陽と自画像を描かざるをえなかった…
太陽は暖かさを求めて、エネルギーがほしかったからね。
そして、自画像は自分が誰だかわからない、
自分とは何かを探究する道具だった。
何枚も何枚も描き続ける中で、私は絵からエネルギーをもらい、
自分の弱さを認め、闇から地上に抜け出すことができた。
そして、あのときの絵を描く執念は、
生と死のはざまにありながら生や光を希求する草間彌生にも
通じるものがあったなって思うよ。

私の場合は、太陽と自画像だったけど、
草間彌生の場合は、それが「反復」と「増殖」と呼ばれる水玉。
彼女もまた、そうと意識せず、
アートセラピーを自らに適用させてきたんじゃないかな。

そして、アートセラピーの原点は、
1.この鬱積した情念のパワーを発散し浄化することができること。
2.心の闇を色や形を通して画用紙に絵として表現すること。
  つまり、闇を絵として地上に出してあげること。
3.表現し続けることで、治療につながること。
  それは、描くだけで癒されたり、描くことで自分が見え、
  フィードバックされ、自分自身が変容する可能性があるということ。

これらがアートセラピーの醍醐味だね♡♡♡
いいね~ 絵って(独り言)

そして、絵を通して自らの浄化や治療、
また成長に向かう道には、道連れがいるんだよ。
絵を通しての探究心。それにね、絵に対する信頼とね、あとは、
「ちくしょう」と思うくらいの生きることへの飽くなきエネルギー。
その道連れが一緒にいる限りは、安心していいんだ。
描きたいと思うエネルギーを画布になぐり描いていけばいい。
エネルギーは無尽蔵だよ。
下手でも、上手でも、そこに差はない。
何を描くかではなく、描くことを通して次のステップが約束されるんだよ。
これがアートセラピー。
すてきだね♡♡♡

草間本人

草間彌生は、描いたものを美に昇華し、
人々に感動を与える絵を最終的に描くことができた。
こういう人は本当に一握りなんだけど、絵を描くという行為が、
狂気を正気へと変え、命の躍動の瞬間瞬間をアートに変える
感動の画家にしたんだろうね。

草間彌生は幸いにして、1枚の作品が何千万円、何億円という評価を
得ているけど、その反面で、時代に乗せられてたくさんの絵を
描かせられている機械のような感じで痛々しくもあるね。
ルイ・ビトンとのコラボで、彼女を形どった彌生人形が
世界中の店舗で水玉模様と一緒に百数十体踊っているんだって。
時代の天才画家になりたい! と豪語して
つかみとった今のポジションだけど、
83才にして今も死の恐怖に襲われ、眠れず、
絵を描き続けなければならない
心境はたまらなく人間存在のせつなさを感じさせるね。

草間彌生が強迫神経症や不安神経症が治り、
症状がなくなったとしたら、どんな絵を描いたかな?
幸せのための絵を描いたかな?
または、絵を描かなくなったかもしれない。
なぜなら、狂気が治って幸せになると普通の絵に戻るからね。
おもしろくなくなっちゃうんだよ。
彼女は、今も狂気の中にいるけど、そんな選択肢もあったかもしれない、
なんて思ってしまいました。

すべての愛する人にカンパイ!!
そんな感動とせつなさを彼女の絵を通して感じているよ♡

それでは、また!
愛を込めて

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