こんにちは、加藤です。
今日もお邪魔しますね。
第3弾として、コロナ下の絵から子どもたちの訴えに耳を傾けてみよう!
今回は、アンビバレンツ(両価的)な絵を取り上げるよ。
人にはペルソナという対外的な仮面の部分とシャドウという本音や心の影の部分があるね。
この2つに分裂した心のことをアンビバレンツ(両価的)と言うね。
具体的には、ペルソナは、
「良い子でいなくては」
「明るく元気でいなくては」
「親の言いつけは守るよ」等々、学校や社会に見せる良い子ちゃんの仮面だね。
その一方で、シャドウは、
「こんなことやってられない! 私は怒っているんだ」
「ホントはさみしい、泣きたいよ」
「こんなに頑張らなきゃいけないなんて、苦しい~~」等々、ぐちや怒りなど悪い子ちゃんの仮面だね。
コロナ下では、子どもたちは「良い子」であることを求められるね。
それは、コロナの感染予防のためであったり、または、親も仕事などで余裕がないから、甘えたり、わがままを言うことができなかったりするからだね。
だけど、子どもはそれに納得しているわけではない!
では、子どもたちは、こうした心の分裂にどう向き合っているのでしょう?
今回は、それを絵に表現している子どもを紹介するよ。

鬼に攻撃されて、2つの山は涙を流している。
この絵の中には、怒って攻撃する鬼と、やっつけられて泣いている山が両価的に描かれ、本人の怒りたい気持ちと弱くて泣きたい気持ちを表しているね。
また、攻撃を跳ね返そうとする中央の人と、山を死守しようとする鬼と、2つに分裂する自分の心が表れているね。
自然なカタルシス(浄化)・アートでもあるね。

主人公のブタさんはウサギのかぶり物を、黄色いウサギさんは象のかぶり物をかぶっている。
絵を描いた本人は、こう話してくれたよ。
「このかぶり物をしないと、うまくやっていけないんだ」
「そして、みんな、かぶり物をかぶって、外に出ていくんだ」、ともね。
これも、コロナ下で、自分の本心を隠さざるを得ない子どもの心が表れているね。
ペルソナの仮面とあるがままの本心の分裂…。
ちょっと苦しいね。
カタルシスとは「浄化」という意味なんだけど、絵には、描くだけで、フラストレーションや不満、ストレスを発散する働きがあるね。
今回は、ちょっとそれについて説明するね。
前者の絵は、感情のカタルシスだね。
怒りや悲しさを絵にすることで、子どもは心の中のストレスを自覚し、発散させることができる。
怒りや悲しさを否認したり、抑圧したり、否定すると、解消されなかった感情が、ある時何らかの形で出てきて、混乱の原因となることがあるんだね。
子どもたちはよく、絵を描いたあとに、
「スッキリした~~~」って言うね。
ネガティブな感情が、絵を描くことによって消えたんだね。
これも、アートセラピー・マジックだね。
そして、2枚目は、「仮面を見るんじゃなくて、ホントの自分を見てほしい!」という訴えだね。
環境に順応するために仮面をつけて良い子をやっているとしても、それは、本当の自分じゃない、とちゃんと知っている。
そして、絵には、どんな絵でも、その子の本心が表れているんだね。
それを読み解き、子どもを受け止めてあげるのがアートセラピストだよ。
コロナ下では、子どもたちも「頑張らなくっちゃ」、「耐えなくっちゃ」と思うから、心の裏側の声に耳を傾けてあげる必要があるね。
次週は、第4弾として、コロナ下の過剰適応の子どもの絵について焦点をあてるね。
すべての子どもと親に愛を送ります。
愛を込めて